ヘアドネーションについて娘が体験するにあたり、たくさん調べました。
以前に書いたこちらの記事ヘアドネーションは意味ないのか徹底的に調べたら半分ホントで半分嘘だった!!はたくさんの方に読んでいただき、感想までもいただき感謝しかないです。
私自身はヘアドネーションについては意味がないなんて思っていなかったし、求める方がいて喜んでくれる人がいるのだからヘアドネーションは良いことと思っていたタイプの人間です。
でもヘアドネーションの団体であるジャーダックの代表がインタビューに答えている記事を読んで頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃がありました。
その記事はこちら→https://laundrybox.jp/magazine/hair-iikoto/
「ヘアドネーションという罪。「いいこと」がもたらす社会の歪みについて」というショッキングなタイトルのその記事は自分が全く気付いていない事実を突きつけられました。
ヘアドネーションする人は無意識に善意のマウンティングをとっているというのです。
そんなつもりはないけれど、そういうことなんだろうか?
ヘアドネーションは偽善?自己満足?
ヘアドネーションしようと思ったキッカケはテレビで見て知ったことから。
まずウチは娘がそのテレビを見て単純に困っているお友達に私も髪の毛を寄付したいと言いだしました。
その純粋な想いに私は優しいなと感じたし、それ偽善やでとは全くもって思わなかったし、善意のマウンティングなどとは微塵も感じませんでした。
長い髪の毛が病気や怪我などで毛髪を失った子供に無償でウィッグを提供できる団体があって、切って捨てるだけの髪の毛が団体に贈ることで誰かの役に立つならば是非協力したいと思いました。
調べてみると31㎝以上の髪が必要で、中でも40㎝以上の髪が不足していて1㎝でも長いほうが喜ばれることが分かりました。
そこから娘は50㎝伸ばして切りました。
私も自らの髪の毛を伸ばしてヘアドネーションしようと思っています。いや思っていました。
で、この記事を読んで衝撃を受けました。
このように書かれています。
社会に役立ちたいとヘアドネーションを手段として選ぶんですが、マイノリティーとしてウィッグを着けないと生きづらさを感じる人たちが誰の目を気にしているかというと、結局、マジョリティーの目なんですよ。
ヘアドネーションのドナーは100%マジョリティーです。誰かのためにと思っている側の無意識の差別で、この人たちは生きづらさを感じているのではないかと。
ただ、純粋に髪を提供してくださる人たちに、その責任はありませんし、そもそも私たちがこの活動をしているから送ってきてくれている。
だからこそ、私たち団体が無意識の差別に1人でもいいから目を向けてもらえるような活動をしないと意味がないと思っています。
https://laundrybox.jp/magazine/hair-shakai/
マイノリティとマジョリティについて語られています。
マイノリティは少数派、マジョリティは多数派ということですが、やはり多くの人が髪の毛がありそれが当たりまえの世界になっているから髪の毛がない方に可哀想と言う目を向けるからヘアドネーションが必要になってくるってことが言いたいんだと思います。
だからそんな偏見の目で見ないで髪の毛があってもなくても「あなたはあなた」と認めることが大事。
そんな世の中になればきっとヘアドネーションも必要なくなるってことでしょうか。
これを読んでじゃあ私ヘアドネーションしようと伸ばしていた髪の毛、どうしよ。って思うわけです。
偏見をなくしヘアドネーションもしないでおきます!!
ってこれが果たして正解ではないと思うんですよね。
上から目線ではなく、必要な人の手に届けたいという気持ちで良いんではないかと思うんです。
別にそのままももちろん良いし、気分でウィッグをかぶって楽しむ日があっても良いのにって思います。
ウィッグを欲しいと思う人の気持ちを勝手にこちら側の解釈で手に取る機会まで失うのはどうなのか?って思ってしまいます。
自己満足なのかもしれないけれど、私は今伸ばしている髪の毛はヘアドネーションしたいなと思います。
ただ今回この記事を無意識の差別について考えさせられました。
何も考えないでやっていることに本当に傷ついている人はいないのか?考えるようにしたいと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございました。